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りゅうおうのおしごと! 6巻 感想

「初動がすべて」というラノベ界の常識を覆した存在そのものが奇跡の塊みたいなシリーズ。
「神殺し」の様な盛り上がりを見せた前巻で主人公・八一の物語は一段落付いた中、話をどっちへ振るのか予想できないまま拝読。

物語は竜王位防衛を達成した八一たちが関西将棋会館で新年を迎えている場面から始まります。
「ナニワの帝王」の異名をとる関西将棋界の重鎮・蔵王の引退宣言を受けて若干寂しい雰囲気が漂う中、
新年会の席で注目を浴びるのは八一の姉弟子・銀子でした。

翌日に奨励会三段編入試験の試験官としてアマ三冠、かつて三段リーグを年齢制限で退会した辛香アマ三段を
相手にする事になった銀子は自身もあと一勝で三段昇格が決まる状況を迎えていた。
女性として三段に昇格すれば史上初という事で嫌でも注目を浴びる銀子でしたが、
その会場にはもう一人、銀子と同レベルの注目を浴びる存在が。

「史上初の小学生棋士」を目前にした椚二段。
小学五年生で奨励会の二段に在籍するという破格の才能の持ち主が自分たちとそう変わらない世代にいるという
事実に驚愕するあいと天衣の弟子二人。

盛り上がる新年会の会場だったが、銀子目当てに乱入してきた一人の女性によって大混乱になります。
日本酒の一升瓶と日本刀を持って暴れ込んできたのは女性として初の本因坊位を勝ち取った「シューマイ先生」こと
本因坊秀埋は銀子に対し体力で劣る女性が何かを勝ち取るには「強烈な努力」が不可欠だと言い放ちます。

そして迎えた奨励会三段編入試験の日、会場に現れた辛香アマ三段が銀子に「この駒を使って良いか?」と取り出したのは
かつて奨励会の退会者に贈られたという「退会駒」。
「現役の奨励会会員」を相手にしているという状況を作りあげた辛香の毒気は銀子を侵し、凍り付かせ…

九頭竜八一がこの作品の表の主人公であるとするなら、間違いなく裏の主人公は空銀子である、という事だけは強烈に伝わってきました。
三巻で想い人である八一を「将棋星人」と称し、才能の無い自分を「ただの地球人」と貶め、蔑みながら
「将棋星人が住む星は凄く遠くて、その星の空気は地球人にとって毒、行けばきっと死んでしまう」と自覚してなお
「けれど、私はそこへ行きたい」と中学生の女の子とは思えないぐらい悲壮な決意の下で生きている空銀子というヒロインを
今後は物語のもう一つの軸として描きたいのだろうか?そんな事を思わずにはいられない一冊でした。

物語の方はそんな銀子が所属する「奨励会」の厳しさを、一度はその世界から年齢制限で追い出されながらも
全く諦めていなかった男との「復讐」とでも称するべき一戦に敗れて突き付けられる姿を描く事から始め、
プロへの登竜門である三段リーグ昇格を賭けて「史上初の女性三段」が目の前に迫った状況の中、
同じく「史上初の小学生棋士」の座が目の前に迫った小学生・椚二段との対局に臨むまでが描かれています。

話のもう一つの軸となっているのは「将棋ソフト」の存在です。
暫く前にソフトの力に頼っているのではないか、という棋士の存在がニュースで騒がれていたのは
将棋ファンならず、世間に知れ渡っている事であるけれども、技術の進歩によって棋士の長い歴史で積み重ねられてきた
「経験」の上に成り立つ戦術を圧倒的な演算力で瞬く間に追い越そうとしているコンピューターの存在が
同じ人間である棋士を相手に自分を鍛え上げてきた棋士を嘲笑うかのように、異質な棋士を産み出している状況が描かれています。

この「異質さ」が何というか…非常に生理的にキツかったです。
徳弘正也の「狂四郎2030」の序盤の方に遺伝子工学の結晶であり、「完璧な人間」として作られた八木少将に迫られた
ヒロインが相手を人間として感じられないという「人と全く同じ姿をしたミュータント」の不気味さを味わうシーンがあるけど
今回、純粋に将棋ソフトで育った椚二段を前にした銀子を通じて読者が味わう感覚がまさにこれに近い。
「人を相手にしているとは思えない」不気味さがじわじわと心を侵し、士気や勇気を挫いていく侵食感には若干の吐き気すら覚えます。

その「ミュータント」を前にした銀子の対局は非常に意外な形でケリが付くのだが、
その結果によって自ら地獄の蓋を開けてしまった事に嫌でも気付かされた銀子が慣れ親しんだ関西将棋会館すらも
地獄の様に感じられる絶望感の中で「……やいち……こわいよ……たすけてよぉ……」と身悶えするかのように
絶望感に打ち震える姿は「痛ましい」以外の言葉が出てこない。

ちょっと使い過ぎの感もある見開きの両端にイラストを置く構図もこのミュータント相手の対局終盤で見せた
「勝った方が絶望の表情を浮かべ、負けた方が笑う」という奇怪極まる状況の表現としても最高に効果的で
イラスト担当のしらび氏が描いた銀子の表情にはもはやサディスティックな愉悦すら引き出される様でした。


新キャラも沢山登場しますが、八一の対局シーン自体はありません。どちらかというと対局パートよりも日常パートが多めの今回、最後の場面もあって次巻への期待が強まる巻でした。
5巻のような感動が再度訪れるか。この作品、竜王戦という山場を越えても変わらず面白くてオススメです。